今日、NHKのEテレで「亀田音楽学校」という番組をみた。
日本でCDが最も売れた6年間を分析 『亀田音楽専門学校』シーズン3
亀田(誠治)さんとは誰かという人もいるだろうから簡単に説明すると、ミュージシャン兼音楽プロデューサー兼ベーシストであり、かの椎名林檎率いる「東京事変」の元メンバーと言えば分かりやすいだろうか。
そんな亀田さんがメインMCを務め、毎回様々なアーティストを呼んで音楽にまつわるトークを展開する亀田音楽学校。
今回の内容は88年から93年のヒット曲を題材に、JPOPの誕生からその特徴などを解説されていた。
ここで専門的な話をする気は無いので、編集長目線で印象に残ったポイントを記載していく。
J-POPというジャンルを作ったのはラジオ「J-WAVE」だった
これは80,90年代のJ-POPにうるさい私も「へぇ〜!」であった。
Wikipediaを参照すると、こんなことが書かれている。
株式会社J-WAVEは、東京都を放送対象地域として超短波放送をする特定地上基幹放送事業者である。1988年から1989年にかけて「J-POP」と言う新たな音楽ジャンルと名称を定義・新造し、それを定着させた。
まんまやな。
まぁこの事実自体はいいんだけど、じゃあそのJ-POPが生まれる前の音楽は何?J-POPになって音楽的に何が変わったの?といった疑問が湧いてくるだろう。当然だ。
J-POP誕生によって哀愁の曲から明るくハッピーな曲が日本を席巻した。
番組中に1988年前と後のオリコンTOP楽曲を聞き比べたのだが、前者は圧倒的にもの悲しい、専門的に言うとマイナー調の曲ばかりであった。
例を言うと、
どれももの悲しい曲調で、「さみしい、切ない」といった印象を覚えないか?
続いて1988年以降を見ていこう。
うむ。誰もが一律して「明るい、元気が出る」といったワードを想定するだろう。
次に、J-WAVE誕生がきっかけとはいえ、なぜこの様な曲調の変化が起きたのかを深掘りしていきたい。
日本が国として勢いに乗ってたんや!
グラフを見ての通り、日本の経済成長期(バブル)とだだかぶりなのである。
もはやMyuu♪の読者に体験者が何割いるのかといった位過去の出来事に感じられるが、このバブル開始は1988年とされており、当時の日本経済は円高・原油安の効果により物価が安定し、企業も円高に対する抵抗力がついたことにより、公共投資&建設需要にかわり、個人消費と設備投資を中心とした民間主導型内需に支えられて景気拡大が続き、近年まれにみる好景気を示した。。と過去の経済史が述べている。
経済成長で発展したものは何も身の回りの生活品や移動手段だけでなく、音楽のテイストも含まれていたのだ。
といった話で、なかなか興味深い番組であった。
次回は1月14日(木)の23:00〜 「J-POP大躍進~インパクト合戦の時代」と称しGLAYと小室哲哉が出演するらしいので、Myuu♪読者も是非閲覧されたい。
編集あとがき
実は今年から真のロックスターを目指してバンド活動も企んでいる編集長なのだが、自分のつくる楽曲は寄りとして1988年代以前の、もの悲しい曲調が多いと言われる。なるほど、そう言われると確かに「切なく美しい」メロディは大好きで、実際親の影響から演歌や歌謡曲も好き好んで今でも聴いている節がある。もちろん88年代以降のJ-POPも大好物なのだが。
今回のテーマはJ-POPだが最後に哀愁系のおすすめ曲を置いて今回は失礼する。
Forever by Stratovarius
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