【湯浅洋】父から受けた音楽観を初披露!ウォークマン誕生でアクティブな趣味「サーフィン」「ディスコ」「スキー」が音楽と一体化~バリ島でクラブDJに挑戦!願いは日々感謝、世界平和

現在、FreoMotto取締役、INSPIRE、スプスラッシュ等プロデューサーの湯浅洋は音楽業界で誰もが知る著名人。2007年からSKE48立ち上げに関わり、SKE48劇場支配人を経て、AKB48劇場支配人を歴任。国内に留まらず、アジアを拠点に活躍するJKT48スペシャルアドバイザーを務めた。今回湯浅の音楽観をロングインタビューしてみた。父は一人で真空管のアンプを作る音楽マニア。幼少期から音楽のある生活にひたり、世界中の曲を聞くのが当たり前だった。ハウス、ソウル、ファンク、80年代など幅広く音楽に傾聴した。62才の現在でも音楽を愛する気持ちは薄れなく、2026年、バリ島でクラブDJに初挑戦するという。今後、この男の行動に目が離せない。
【父の影響を受けた音楽観~ウォークマン誕生でアクティブな趣味「サーフィン」「ディスコ」「スキー」と音楽が一体となる革命】
―― 音楽観について聞かせてください。
父の影響が強いですね。父は空調会社の社長をしていて裕福な家庭でした。小学校1年のとき父は秋葉原に行ってイチから真空管のアンプを作りまして。そんな父の姿を見てカッコいいなあと。世界各国の曲を聞かせてくれましたね。思いつくまま言ってみると「ジャズ」「ビッグバンド」「マイルス・デイヴィス」「ベートーヴェン」「カラヤンの指揮」「田園」
小学校4年のとき初めてレコードを買いました。堺正章さんの「さらば恋人」です。テレビっ子で「シャボン玉ホリデー」「スター千一夜」「夜のヒットスタジオ」「ぎんざNOW!」から音楽や歌手の情報を得てました。
中学1年のときビートルズの世界観に陶酔してギターを親に買ってもらいました。
中学2年でChar「Smoky」にハマり、フェンダーのムスタング音が格好良くて。ソウルミュージック「フュージョン」「ファンク」「シティポップ」「AOR」にもハマりましたね。
高校3年にソニーのウォークマンが発売されて衝撃を受けました。それより前はラジカセを手持ちしている時代ですから。当時趣味でしていた「サーフィン」「ディスコ」「スキー」にウォークマンの手軽さはマッチして。もう世界がブワっと!広がった感じがしましたね。人の目を気にせず1人の世界で音楽がひたれる、すごい時代になったなあと今でも鮮明に覚えています。
高校時代の後半はアメリカンカジュアルへの憧れが強くなって。特に西海岸カルチャーの影響は大きかったですね。ブレイブダンス、渡辺貞夫、YMOにもハマりました。

―― 海外への憧れが強かったんですね?
1986年、24才のとき初めてアメリカ・ロサンゼルスに珈琲店の研修で渡米。念願の西海岸の匂いに感激を覚える。特にデパートやマンダリン オリエンタル ホテルの匂いは想像したとおりだった。またラルフローレンの格好よさに心を動かされて、数年後に海外ブランドの輸入ビジネスを始めるキッカケとなりました。
1987年、25才でマイケル・ジャクソン「Bad World Tour」のライブを後楽園で観るました。

【おすすめアーティストは「Earth, Wind & Fire」、おすすめソングは「スーパースター」】
―― 音楽初心者に勧める楽曲SELECT3を教えてください
<1>カーペンターズ「スーパースター」 <2>サザンオールスターズ「EMANON」 <3>ブルーノマーズ「24K Magic」
―― 現在活躍するアーティストで気になるSELECT3を教えてください
<1> Earth, Wind & Fire <2>久保田利伸 <3>藤井風
―― お酒好きと聞きましたが、お勧めのSELECT3を教えてください
ビール以外のお酒は好きです。
<1>十四代 <2>碧寿(へきじゅ) <3>くどき上手
―― 影響を受けた人は誰ですか
田中角栄さんです。角栄さんがいなかったら全国に新幹線を広げる鉄道政策 「日本列島改造論」がなかった訳ですから。鉄道、飛行機ヲタクというか見ているの好きですね。
―― 鉄道と飛行機で1つおススメをあげるなら教えてください
鉄道であげるなら山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ「小海線」。単線でカワイイ車体。飛行機なら「エアバスA350」。機内が静かでトイレが広い
―― ゴルフ好きと聞きましたが?
小学校のとき父がやってまして。父の姿を追いかけているところがあるかもですね。あとゴルフは答えが出ないスポーツで好きですね。小さな穴に入ることを逆算に何をするべきか考える引き算のスポーツで。プロと素人の力が歴然で奥が深いです。

【当たり前を当たり前だと思わないように、日々感謝。平和であって欲しい】
―― 未来についてお聞かせください
僕には3つの“願い”があります。
1つは「K-POPに負けないグループを作りたい」
日本国民が一体となって応援するグループが理想です。
2つは「ワールドツアーができるアーティストをもちたい」
自分がプロデュースでなくてもよいので成長していく様を見たい。特に3つあげるならアメリカ、イギリス、メキシコには行きたい。
3つは「戦争をやめてほしい」
政治的思想ではなく無駄な人殺しは意味ない。単純に乗り物ヲタクなので燃料代が高騰するので。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)など何が起きるかわからない時代、当たり前を当たり前だと思わないように、日々感謝。平和であって欲しい。
―― 湯浅さんにとってエンタメとは何ですか?
本来は“なくてもいいもの”。しかしコロナで感じました。
“エンタメは人の笑顔を創造する!”なくてはいけないものだと。
むかしでいうと必ず家族でクイズ番組を見る習慣があって。私が回答をいって正解すると家族全員から褒められるんです。なんか今もその感覚が忘れられなくて、褒められる、褒められたいから人は成長するって。今でも「褒められて伸びる」っていう意識は強く意識してますね。
むかし覚えた家族団らんのクイズ番組がエンタメの基盤だと思ってます。
―― 大切にしている言葉を3つ教えてください
「一期一会」「感謝」「今日無事」
―― 自分の人生に点数をつけるなら?
個人的には35点。まだまだやれたことがあるので現状では満足しないです。
客観的には80点。お陰様で周囲が認めてくれて及第点も含めると80点をつけてあげても良いかなあと。
―― 新しいことにチャレンジしてみたいことはありますか?
クラブDJに挑戦してみたいです。昔から様々なジャンルの音楽が好きなので。ハウス、ソウル、ファンク、80年代などなど。たくさんの人に音楽の素晴らしさを知ってもらいたいなあと。実はバリ島のホテルを抑えてまして。2026年にはデビューする予定です。
―― 最後に他界した父が生きていたら、今の湯浅氏を見て何て声をかけてくれるでしょうか?
私と違って褒め下手なので。息子の活躍を喜んでいても直接、褒めないでしょうね。多分「ひろし、一緒にゴルフ行こう」「ひろし、プロレスを観に行くぞ」って不器用に言うでしょうね。なんか親子というか友達みたいな関係で。それが父親なりの愛情表現っていうか。磁石の関係というか。褒める息子と、褒め下手の親父。今でも尊敬してます。
▽プロフィール「湯浅洋」
1962年(昭和37年)8月9日、東京都江戸川区東小岩生まれ。実業家、音楽プロデューサー、FreoMotto取締役、INSPIRE、スプスラッシュ等プロデューサー。
大手百貨店、不動産を経て起業。バブル時代、様々な事業を立ち上げて成功。シドニー五輪決定を機にオーストラリアへ移住、貿易事業を始める。コーディネートをするなか元テレビ朝日アナウンサー辻よしなりと芸能事務所を立ち上げて副社長となり、企画・版権・キャスティング・営業ほか活躍の場を日本に広げた。
2007年からSKE48立ち上げに関わり、SKE48劇場支配人を経て、AKB48劇場支配人を歴任。国内に留まらず、アジアを拠点に活躍するJKT48スペシャルアドバイザーを務めた。
1児の父、2人の孫がいる。趣味は音楽鑑賞、DJ、スキー、ゴルフ、プロレス、読書、乗り物(電車・飛行機)ヲタク。

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