【特集】茂木千明という男とは… ≪C-Style≫を作った誰からも愛されるアニキ~木更津愛が過剰すぎて地元ラジオDJからヤンキーユニットプロデューサーに転身!生い立ちからスターを本気で目指した若かりしき時代、グループ結成秘話まで初出し満載!

木更津発 仏恥義理アイドルC-Styleが4月29日に結成10周年を迎えた。ご当地アイドルのジャンルを飛び越え、タモリ、中居正広、マツコ・デラックスがMCをするバラエティー番組に数多く呼ばれ、認知度は全国区となった。横浜銀蝿の翔を筆頭に芸能界から彼女たちのファンだと公表する声も少なくはない。現在「木更津ふるさと応援団」のほか「1日警察署長」「いじめ反対サポーター」「ゴミのポイ捨て禁止ポスター」など行政からも引っ張りだこの人気。日本ご当地アイドル活性協会調べでは、全国ご当地アイドル肩書きランキング第7位にランクイン。なぜそこまで木更津から愛されるのか?プロデューサーで事務所「株式会社C-PROエンターテイメント」代表取締役社長の茂木千明(35)に成功した要因、コンセプトの誕生秘話を聞いてきた。さらに今だから話せる茂木の隠された生い立ち、ヒストリーに奇才Pの裏付けのヒントが垣間見える。

【気志團万博が考え方を変えさせてくれました】

――― 茂木社長、自己紹介をお願いします

茂木 木更津から世界へ!を合言葉に 株式会社C-PROエンターテイメント 代表取締役を務めております。千葉県木更津市生まれ、35才になります。現在、芸能プロダクションの経営、移動販売事業、ライブハウス事業を行っています。

――― DJもされてましたよね

茂木 はい。19才から地元木更津のラジオ番組でパーソナリティをさせてもらい。イベントでもMCをしたりしてます。MC名は「DJ CHIAKI」です。その他に2児の父でもあり、「いじめ反対運動ピンクシャツデイ」千葉理事も兼務してます。みんなからは「ちあき」「ちあきさん」「社長」「千明P」など色々、呼ばれてますね。

――― C-Styleさん結成10年おめでとうございます。C-Styleさんにとって大きくさせたエピソードBEST3を教えてください

茂木 1番目は「気志團万博」最終選考会に選ばれたことです。今までは部活みたいなことをしていたんですが。勝ち残った人がプロで、しっかりとエンターテインメントをしていました。みんな「いかに努力を見せないで感動させるか」を突き詰めていて。気志團万博に出る意味が変わりましたね。涙、気合だけではない、プロ意識を強く意識しはじめました。楽曲作り、LIVEの作りも変わりまして。あとあとになって翔さんが選んでくれた理由を気づかされました。2番目は、木更津市から初めて地域の公認をもらった木更津ふるさと応援団。3番目はテレビ朝日連動のコンテスト「愛踊祭」で、同じ曲の比較だから技術面の向上や、勝負けを覚えました。アイドルでは感じることのないメディアへの魅せ方、ショーレースの大切さ。

――― 茂木社長が影響を受けた人を教えてください

茂木 何と言っても横浜銀蝿の翔さんですね!あと10周年を迎えられたのは、木更津市の地元企業のみなさん、株式会社サンエー庵﨑栄社長、そしてファンの方々と言えます。スタッフ陣でいえば制作の山下泰広、音楽プロデューサーの野本健太郎、ダンス、振付の渡辺忠隆先生(ヒップホップダンスエボリューション主宰)、マネージャー越田流奈の名前もあがります。

空手で全国3位になりました!得意技は上段回し蹴りです】

――― 茂木社長の個人的なことを聞いてもよいですか?趣味を教えてください

茂木 はい、ありがとうございます。趣味を3つあげますね!

1つ目は、日本全国で食べること。オススメは「新潟の海鮮に日本酒」「仙台のほや」「鹿児島の黒豚に芋焼酎」です。

2つ目は、お酒が大好き。オススメは「日本酒・而今(じこん)」「アードベッグ(スコッチ・ウイスキー)」「クラフトビール」です。

3つ目は、1人旅。オススメは「宇都宮の餃子店めぐり」「甲府市・甲府中央商店街」「沖縄のコザ」です。

――― 特技も教えてください

茂木 特技は空手と野球です。空手は全国高校選抜大会第3位で、空手道2段、得意技は上段回し蹴りです。野球は中学校野球千葉県大会出場で、千葉ロッテマリーンズの唐川侑己投手と対戦したこともあります。

―――木更津愛が強い人ランキングを作るなら?茂木社長は何位ですか?

茂木 冗談なく、もちろん自分が全国第1位です。2位は気志團の綾小路翔さん、3位は中尾彬さん、4位はK-ZOさん(焼き鳥屋マスター)、5位は素根輝さん(千年の木社長)

木更津を盛り上げて影響力を持つスターになりたかった】

出産直後の茂木千明0才
出産直後の茂木千明0才

――― 茂木社長のヒストリーをお聞かせください

茂木 父は東京で会社経営の社長をしていました。小学校4年で父が他界してしまうのですが、母は中学から某百貨店の宝石店店長をしております。1人っこで木更津市生まれで、市の中心街に家があって。幼稚園の4才のときに地元空手クラブに入りました。父は根っからの巨人ファンで、幼いながらキャッチボールをした記憶があります。ジャイアンツ戦には年に10回ぐらい連れて行ってくれて。東京ドームの年間シートを持ってました。だいたい席は1塁ベンチ上で、ジャイアンツの選手がホームランを打つとヌイグルミを投げてくれまして。今でも記憶に残っているのが当時、憧れていた仁志敏久選手のヌイグルミを貰えたことです。

――― お父様が亡くなったあとは、どうなったのですか?

茂木 小学校4年のときに父は肝硬変で他界。死ぬ間際まで現役で社長を貫いてました。父が息を引き取る間際に「お母さんを守ってあげてくれ」と頼まれたことは今でも忘れておりません。その言葉を機に、しっかりしなくちゃなあと空手と野球に打ち込んだことを覚えております。あと父の記憶としては、空手の大会で良い結果を残し、ご褒美としてファミコンやプレステの大量買い、ゲーム専用テレビ、当時入手が難しかった、たまごっちなど買ってくれたことですかね。木更津幼稚園から我孫子市立第3小学校、我孫子市立安孫子中学校を卒業しました。小学校時代は陸上部で足が速く、50メートルを7秒台のタイムでした。中学校は野球部で3年生のときは、我孫子高校、柏沼南高校、流山東高校の3校から野球推薦で声がかかりました。結局、高校では空手一本を選び、拓殖大学紅陵高等学校に入学。特待生として入学金、授業料、寮費の一部が免除されました。結果、3年のときに愛媛県で開催された全国高校選抜大会で第3位になることができました。このときは母も仕事を休んで愛媛の会場に来てくれて一緒に喜びを分かち合ってくれました。

――― 高校時代の恩師の空手部顧問・森章先生は有名な教育者ですよね?

茂木 はい。今も現役で拓大紅陵の空手部を教えながら校長先生をされております。森先生からは、たくさんの人を育てる金言をいただきました。例えば「性根は、そう簡単に変わらない。だから考えで人格を形成しろ」「類は友をよぶ」「ABCの法則、当たり前のことバカにしないでちゃんとする」「第一印象は3秒で決まる、目つき、顔つき」など。C-Styleのことに行き詰っているときにも森先生から「叶えるっていう文字はな、口と十の文字でできている。千明、お前は、気志團万博に出たいって何回、口にしているんだ? いいか1日10回は言え。夢は口にするんだ」と勇気づけられました。森先生は今でも自分に喝を入れてくれる恩師です。

――― 大学で燃え尽き症候群になったと聞きましたが?

茂木 燃え尽き症候群というか。高校3年間、木更津の寮生活だったので。大学はもっと違うことで自分の可能性をさぐりたいと。あと漠然に人に夢を与えるようなスターになりたいって思うようになりました。結局、中央学院大学法学部法学科行政コースを卒業することになるんですけど、30種類ほどアルバイトを経験しましたね。大学4年のときは、テレフォンアポイントの仕事に就き、フレッツひかりで関東1位の営業成績に輝きました。かなり話術を磨きましたね。卒業した直後には、大学の友人と自家用車で日本1周に挑戦しました。費用は木更津のお店に一軒一軒、頭を下げて協賛金30万円を工面してもらいました。車のレンタル、ガソリン、食事代もろもろ経費で、すぐなくなっちゃいましたが。いま考えるとYouTubeの走りですよね。道中でアンケートを取ったり、いろいろな企画を考えて、1ヶ月かけて日本一周を終えました。運動部で鍛えた根性と愛嬌、そして話術で乗り切れましたね。

――― 大学時代にC-Styleというサークルを作ったと聞きましたが?

茂木 いや。「C」じゃなくて「SEA(海)」ですね(笑)。当時、日本1周した同じ大学の清水智裕と、その後、C-Styleを作るんですけど。清水も含めた3人で何かスーパースターになれないか?と立ち上げた団体名なんです。漠然と普通の人がしないことしたらインパクトに残るよな?木更津のスターになりたいけど何をしたらいいかなと答えが出ずにいました。取り合えず、団体名を「Sea-Style」(3人のチーム名)にして活動するようになりました。当時、現場工場員で働いていた清水を参謀に取り込み、理事にして会社を立ち上げたいなあと考えました。でも何でお金を稼ぐ?と思ったとき、イベントを手伝った昔の経験をもとに自分たちで実践してみよう思いました。大学4年4月に個人事業主として「C-PROエンターテイメント」を設立。大学生パワーでイベントを次々と開催しまくりました。音楽イベント、バンドイベント、ライブハウス、木更津市のごみ拾い、地域活性イベントいろいろなことを仕掛けて大成功。イベント制作として並行してキャスティング、MCと率先と自ら行いました。就活時期になると3人でスターになりたいよなって強く思うようになって、ミクシーの芸能関係というコミュニティで、現在C-Styleの制作スタッフをしてもらっている映像制作で活躍をされていた山下泰広さんと知り合うことになり、「僕等をスターにしてほしい、とにかく目立ちたい」と映像の制作をお願いしました。結果的に先程あげた日本1周は山下さんから提案されたんです。今考えると人とのつながりって面白いなあと思います。ちなみにC-PROエンターテイメントにした理由は、千葉の「C」から来ていて。カリスマ集団になりたくて「C」、チャレンジ、チャンスの「C」、チャンプロード「C」っていろいろ理由づけられてカッコいいなあと。それがアイドルを作るとき「Sea-Style」が「C-Style」に変形したんです。たまに冗談で千明の「C」から来ているんだよって冗談で言いますが。話すと長くなっちゃうんですよ。グループ名の由来は(笑)。

大学時代の茂木千明

――― 社会人時代のお話をお聞かせください

茂木 大学在学時は広告代理店を志望していました。いろいろな会社から声はもらっていたんですけど。勤務地は絶対に木更津にしたいと思い、お断りしました。自分の力で木更津の良さを拡散するような仕事をしたいと思いました。卒業して木更津の広告代理店に入社。フリーペーパーの枠売り、新規飛び込み等の営業部署に配属。大学時代に培ったテレアポのテクニックを駆使して、飛び込み営業だけではなく電話も並行して活用。さらに相手のことを考えて営業方法を考えていましたね。入社初月から先輩を飛び越えて売上第1位になっていました。結局2011年4月から2014年3月、退社するまで営業成績1位の座を譲ることはなかったですね。その間、経営者から学んだこと、横でつながったこと、今でも財産です。

――― ラジオDJはいつから始めるんですか?

茂木 ラジオDJは就職して2年目、営業課長に昇進した頃ですかね。2012年夏から3時間生放送の地域情報番組を任されました(笑)。大学時代から可愛がってもらっていたラジオ局の局長から新番組を立ち上げたいから力を貸してと声がかかりました。大学時代に私がイベントMCをしていたのを見てくれてまして。「モーニング843」という新番組・立ち上げメンバーとして3時間の枠を任されまして、初代DJという重責を任されました。やることが全て初めてのことなので、分からないことは全部自分で取材したり調べて台本を作りました。番組内に流す曲もすべて毎週自分で選曲しまして。ここで先輩MCの嘉屋崎道子さんから喋りについて教わりました。「基礎が出来て面白い自己流がいきてくるんだぞ」と咤激励を頂戴しました。情報番組なので「ニュース番組」「天気」「交通情報」「音楽番組」「地元に関するお得なフリートーク」と多種多様なことを扱いました。同時に営業案件としてアクアマラソンの中継レポーター、異業種交流会イベント司会、結婚式司会、地域のお祭りMC、クラブ、ライブハウスのMCも場数をこなしました。

――― キサらぶガールズとの出会いはそこからですね?

茂木 はい。私の番組に2か月だけ「キサらぶガールズ」という木更津市のご当地アイドルが毎回3人選抜されアシスタントをしに来ることが決まったんです。当時、ラジオは公開スタジオでしたので見に来るファンの数が分かるんですよね。アイドルに関心がなかった自分はアイドルを甘く見ていたんですけど、彼女たちがアシスタントに来てからスタジオ前には地元ファンでビッシリとなって。何とか地元をPRしようと頑張っている彼女たちを応援しに来るファンの熱の高さを初めて知ったんです。大学時代からスターになりたいと思って目立とうとしていた自分がいました。でも結局、お客さんを呼べる人は限られていました。そんなときに現れた「キサらぶガールズ」は、まだまだお世辞でも上手とは言えないグループでしたが、自分より人を呼ぶんですよね。その瞬間ですね、表舞台を支えるプロデューサーに興味を持ち始めたのは。MCをしながら自分だったら、この子たちの良さをどう引き出せるかなあと。「自分がスターになりたい」から「人を輝かせたい」と変わった瞬間ですね。自分にファンはつきませんでしたが、いつまでも自分がプレイヤーの気持ちでいます!今でも戦っているんですよ。プレイヤーの気持ちは忘れないで。だから自分の夢を持っている八剱咲羅と潮干狩鯏はスゴイなあと尊敬するし、もっと頑張ってほしいなあと思っちゃうんですよね。

――― 当時、キサらぶガールズで気になったメンバーはいましたか?

茂木 中学2年で八剱咲羅(現・C-Styleメンバー)がいまして。全然、漢字を読めないし、何をやるにしても不器用で。でも咲羅は失敗しても「やるんだ!という図太さ」「やりぬくんだ!という強さ」を感じました。出来ないのにくらいつきましたね。「キサらぶガールズ」で咲羅は1番喋れなかったんですけど、結局1番スタジオに来てましたね。その頃から彼女にはスター性があったんだと思います。

――― C-Styleのプロデューサーにどうつながっていくのですか?

茂木 2012年末、「キサらぶガールズ」運営から突如、3ヶ月後に解散することが決まったのでアシスタントは辞退しますと聞かされました。そのことを聞かされて何か胸にこみあがってくるものがあり「大人の都合で木更津の子供たちの夢を途切れるなんて身勝手だ!」って突っかかりました。なんかその流れで、2013年1月にNPO法人・木更津駅周辺地域活性化推進協議会理事として就任。「木更津アイドルプロジェクト2期生」プロデューサーとして現「キサらぶガールズ」メンバー11人を含めて新規オーディションをはじめました。結局、6人が合格したのですが、合格した彼女たちからすれば、ふりふりのカワイイご当地アイドルをイメージして来ている訳ですから。さらにプロデューサーとして実績のない自分は全く評価されていないのでメンバーからも父兄からも信用度はゼロ。ここで新しい方針を表明しても亀裂を生むと思いまして。周囲には話さず、自分が思い描く新しいアイドル像を進めました。そして2013年4月29日、横浜BLITZ(収容1,700席)で初LIVEが決まり、いよいよ木更津アイドルプロジェクトから誕生したヤンキー系アイドルを1週間前にメンバーへ発表しました。悪い言い方するともう逃げれないよねって。練習終わりにさらっとコンセプト、ユニット名、衣装、千葉県に関係するメンバーの源氏名を伝えました。

――― 騙しうちですか?暴動は起きませんでしたか

茂木 その頃には覚悟があったからメンバーも、よしやるぞって。あとヤンキーって昔の時代のものと思われていて。彼女からすればコスプレというか漫画のキャラクターみたいな感覚があったんだと思います。そこからヤンキーとは何かを1つ1つ説明する日が待っておりました。同時にプロデューサーとし、いろいろなところに営業しました。雑誌からテレビから。特に雑誌「チャンプロード」に営業して、デビューから半年後に返信きましてね。強いバックアップをしてくれたのが大きかったですね。結成2年目で「チャンプロード」の取材で気志團さんと初めて会うことになりました。また「チャンプロード」を見たプロス通販から衣装提供をしてもらえました。

――― ヤンキーをコンセプトした経緯を教えてください

茂木 キサらぶガールズを知ったときはモーニング娘。ぐらいしか知らなかったんです。ラジオのアシスタントをしてもらって、しばらくしてから初めて彼女たちのLIVEを見に行ったんですけど。カバーしかしていなかったのを見てビックリしました。なんで木更津市のご当地アイドルなんだろう?って1年間もんもんしてまして。ご当地アイドルって何なんだろうて?木更津らしさ?って考えていたら木更津市の先輩にあたる気志團さんを思いつきました。あれ?ヤンキーアイドルっていないなあ。今までしてきた仕事に置き換えれば「ない」のが1番目立つし、仕事が取れるよな。だからヤンキー女性版を作ればいいなあ、とテレアポ、営業時代に培った勘でしたね。そこからC-Styleを思いつき、ヤンキーアイドルを構想し始めました。ただデビューして1つ失敗したことありまして。ヤンキーだから「挨拶しない」っていうルールを決めちゃったんですよね。それが悪い方で印象に残ってしまって、周りから心配の声が来て、それキッカケで初めて会った業者が連絡して繋がることもありました。今はそんなことないですけどね。あと自分で課した営業ルールとして、「最初は全営業」して来るのを待つ。「最初の縁」を太くする。待つ時間はしんどかったですけれど、そのやり方は結果的にうまくいきました。

――― 10年迎えて、アイドル以外にも多岐にわたる事業をしてきましたね

茂木 はい。プロデュースとしては、2017年4月に「キッチンカー」を始めました。キッカケは咲羅が高校を卒業するので、アイドルだけだと収入が不安定だと考えました。食わせる、有名させるためにはアルバイトはさせたくない。練習させる時間を増やしたい。そしてファンを拡大させたい。そこで季節を問わないクレープ屋をはじめました。移動販売の資格やクレープ研修に行って移動販売事業の運営責任者となりました。当初は全国各地にライブしながら販売できるかなあと甘く考えていたのですが、そうは行かず。1県1県に販売資格を取りに行かないと移動販売ができないんですよね。今は千葉以外に栃木、埼玉、東京で移動販売の営業資格を持っております。今ではお陰様で行列が絶えません。待っているあいだにC-Styleの説明ができるし、接客も覚えられる。お金を稼ぐことを覚えられる。人間力が養われると良い事ばかり。人気商売だけではダメ、ちゃんと美味しいもので勝負しなくてはいけないと日々研究をしなくてはいけないですし、お金をもらう大切さを身に覚えました

2015年9月に木更津ライブハウス「KAVACHi」が閉店になってしまい、自分が運営責任者として、2017年7月に「OSSA」と名前を変えてライブハウス事業を引き継ぎました。

2019年に潮干狩鯏が高校を卒業をしたことをキッカケにメンバー2人を1人前にさせる受け皿として「株式会社C-PROエンターテイメント」に法人化しました。

2023年4月からは2人を社員に受け入れ、社会保険、厚生年金をつけました。咲羅には業者のやりとり、鯏には経理をしてもらっております。アイドルをしながら、2人には、できるかぎり打ち合わせには同行してもらっております。人間力をつけてもらいたいなあと。

――― 今後の野望をお聞かせください

茂木 C-PROエンターテイメントを将来的に有名人が木更津からうまれる生産工場にしていきたいです。ジャニーズのような。教育の分野にも興味があって、勉強だけではなく、何かを成し遂げる大切さを教える授業カリキュラムを提案していきたいです。今、2児の父なんですけど、子供がやりたいことを形にできる環境を作りたいと強く思います。1つ世界に縛られず、いろいろなことが経験できる場を作りたいですね。

――― この仕事をして実娘に見られている意識はされてますか

茂木 はい。先日も小学校の娘がステージを楽しんでくれて、お父さんの仕事を認めてくれていて、率直に嬉しいですね。あと同年代の木更津の子供たちが100人も踊りたいと応募があったこともエネルギーを貰えてます。最近はアイドルというカテゴリーではなくなり、C-Styleという新たなジャンルを築けているかなあと。さらに、ご当地アイドルとしても地域と一緒にやっていけると自負してます。木更津に住んでいる人は日本で一番って感じますね。僕の誇りです!「ファンを増やすことにルールはない」「子供たちを成長させたい」メンバーが了承してくれるなら、どんどん挑戦していきたいです。

――― 若い人へアドバイスをお願いします

茂木 そうですね。まずは「気を利かせろ」。若いときはプレイヤーだけでなく、アフターケアーも必要。経営者に近づいて、経営者の人の話を聞いて。人とのつながりを増やしてください。

――― ダンスの渡辺先生から茂木さんにコメントをもらってます

ヒップホップダンスエボリューション主宰、振付師・渡辺忠隆(46)

「茂木さんには感謝してます。ヒップホップを広めたいため活動しているなか、地元の人やテレビで評価されることで知ってもらえました。ダンスのテクニックも知ってもらえました。つくづく茂木千明という男は、陰でコツコツ努力を惜しまず、継続できてスゴイやつだと思います」

茂木 うれしいですね!渡辺先生は心強いパートナーです。先輩でもあり、人生で初めて一緒にいて居心地がいいと思えた人生のパートナーですね。5月からは株式会社C-PROエンターテイメント取締役に就任してもらいます。

◆プロフィール◆

茂木 千明(もき ちあき)

1988年8月3日 千葉県木更津市生まれ

実業家、芸能事務所代表、音楽プロデューサー、イベントプロデューサー、ラジオパーソナリティ、ラジオDJ。「いじめ反対運動ピンクシャツデイ」千葉理事、キッチンカーの運営、LIVEハウスの運営を行う。2児の父でもある。MC名は「DJ CHIAKI」。

愛称は「ちあき」「ちあきさん」「社長」「千明P」、血液型はO型

・Twitter  https://twitter.com/CS_CHIAKI127

・Facebook https://www.facebook.com/chiaki.moki4649

・株式会社C-PROエンターテイメント http://c-proentertainment.net/index.html

★作品

・C-Style「約束」「We are here」(作詞)

・C-Style「あんかけ」「ぶっちぎり」「レディース」(MV監督)

★テレビ

* TBSテレビ『中居くんきめて!』 – C-Style密着

* TBSテレビ『あさチャン』 – マイルドヤンキー特集でゲスト出演

* フジテレビ『マツコデラックス』 – 社長としてゲスト出演

* テレビ朝日『愛踊祭』- プロデューサーとしてインタビュー

* テレビ東京『モヤモヤさまぁ~ず』 – 木更津特集でキッチンカー経営について

* ひかりTV『オーマイダパンプ』 –  プロデューサーとしてインタビュー

★ラジオ

* かずさFM『モーニング834』 – 毎週日曜朝9時~12時 メインパーソナリティ―

* 775ライブリーFM『C-Styleのぶっちぎりナイト』 – メインパーソナリティ
★雑誌

* ぶんか社『EX MAX !』 – 連載「ご当地アイドルの作り方」に紹介

★新聞

*日経新聞 – 特集「ヤンキーを逆手に地域活性」

*朝日新聞 – 地域枠「千葉の災害直後のたきだし援助」

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