【独占取材】モテ術の天才・竹内亢一の「人たらし経営学」中卒から世界ツアー、そして「令和の虎」へ。YouTubeマーケティングで「全(ALL)」を勝ち取った天才が語る「モテたい」原動力!極貧バンドマンから年商億越え社長へ華麗なる転身「バカになれる才能」

YouTubeマーケティング会社「suneight」代表であり、YouTube番組『令和の虎』」のレギュラーとしても圧倒的な存在感を放つ「中卒社長」こと竹内亢一(44)。15才でギター1本を手に上京し、26才で世界ツアーを成功させた波乱万丈の半生は、まさに事実は小説よりも奇なり。故郷・三重で2025年に『みえの虎』を発足させるなど、故郷への恩返しにも奔走する彼を突き動かすのは、意外にも「モテたい」という純粋なまでの自己顕示欲だった。「天然ブルドーザー」の異名を持ち、自らを「天下一の人たらし」と称する竹内社長の本性に迫る。

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【「バカになれる」強み。成功を支える3つの柱】
――― 竹内社長は、ご自身のことを一言で言うとどんな人間だと思いますか?
――― その「モテ術」には、何が必要なのでしょうか?
竹内:「Noと言える勇気」「自分より相手を優先する姿勢」、そして「明るくリードする力」です。男女問わずモテる人って、結局このバランスが絶妙なんですよ。
――― 他にも、ご自身を「●●バカ」と称するこだわりがあるとか。
竹内:はい、まずは「験担ぎバカ」。伊勢神宮のある三重で生まれたこともあり、寺社仏閣巡りはライフワークです。会社の立地も新宿御苑や明治神宮などパワースポットの近くにこだわっています。創業当時から現在までパワースポットである新宿御苑、明治神宮、赤坂離宮の近くにしています。今も大きな決断はスピリチュアルの力を借りることがあります。龍が大好きなので会社の入り口にも大きな龍の絵が飾られております。あとは「右脳鍛えバカ」。クリエイターとして感性を鈍らせないよう、普段から左手を使ったり、五感に刺激を与えるために食べたことのない外国料理に挑戦したりしています。
――― 好きなスピリチュアルな場所BEST3を教えてもらえますか?
竹内:たくさんあるんですけど。3つあげるとすると「伊勢神宮」「江島神社」、「代々木八幡宮」。
――― 人生に影響を与えた人物を教えてください。
竹内:発明家のエジソン好きですね。「世の中にないものを作る」「人を驚かせる」という点では天文学、サイエンス(科学)も同じで。それとギタリストhideさんは僕の人生を変えてくれた恩人。先日も三浦半島にあるお墓へ手を合わせに行ってきましたが、自然と『LASSIE』が頭の中に流れてきて。「今あるのは、あなたのおかげです」と感謝を伝えてきました。音楽は人の人生の色を変える。僕も彼に色を塗ってもらった1人なんです。

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【物心ついた頃から「モテたい」「目立ちたい」という筋金入りの自己顕示欲の塊】
――― 竹内社長の生い立ちから現在までのヒストリーを細かく教えてください
竹内:幼少期から話しますと、1981年8月27日、三重県伊勢市生まれ。血液型は0型。名前の由来「亢一」は戦没した祖父の兄の名前をそのままつけられまして。母方の家系に芸能関係の人が多く、物心ついた4〜5才の頃から「モテたい」「目立ちたい」という筋金入りの自己顕示欲の塊だったと思います。妹と僕2人の兄妹で、母の兄の結婚式にはMCが上岡龍太郎さん、来賓に黒澤明監督が来てました。母方の祖母は当時では珍しくモデルをしてまして。祖母の姉は大阪で政治家・財界人が集う小料理屋を営んでました。
――― 小学校時代はどんな子でしたか?
竹内:伊勢市立四郷小学校に入学しまして。2年くらいからそろばんを習っていたので計算が得意で。今の頭の回転の早さは、ここからきた賜物かもしれないと思っています(笑)。あと運動神経は抜群な子で水泳は一級、4年でバスケ少年、マイケルジョーダンが在籍するシカゴ・ブルズが大好きでしたね。5年になってクリスマスのときに押入れにあった父のギターを見つけて練習をし始めました。フォークソング世代だったんですね、父は。この頃から僕は負けず嫌いで「指が届かないのがとても悔しかった」って常に思って演奏してました。そんなこんなで最初にまるまる1曲、弾けた曲が「翼をください」。長い指をください、ではなく(笑)
―――「中卒社長」と呼ばれることがあると思うのですが。どんな中学時代でしたか?
竹内:伊勢市立五十鈴中学校に入学しまして。僕の最終学歴となるのですが。そもそも、ここの中学校は、地元でエリートヤンキー校と言われた学校でして。車で登校する生徒がいました。もともと僕は私学を受験したんですが、不合格となり仕方なく。でも中学に入ってから「人に可愛がられる才能」の天性がったのか、最上級学年の番長に気に入られましてね。ヤンキー校のですよ! 僕が3年になった頃には自宅にバンド仲間、ヤンキー仲間がたむろするようになって。その頃、文化祭でライブをするのが中学生活のステータス(自慢)だったんですが、僕たちの学年は素行が悪過ぎてライブ禁止となり、夢叶わなかったことを今でも思い出しますね。それと音楽番組「ミュージックステーション」に出演していたX JAPANを観て、後にも先にも【人生一番の衝撃】が走ったのは最初で最後。X JAPANの音楽を録音したテープを擦り切れるほど聴き込んで、髪を赤く染めてモヒカンにして登校して。特にギターのhideに心酔、いつか俺もあんなギタリストになりたいなあと。
――― 当時のX JAPANをどう映りましたか?
竹内:最初にハマった曲が「X」「Tears」。アルバム、CDシングル買って。音楽番組をテープに録画して。特にhideの見た目はインパクトが強くてね。1メートルぐらい立っている赤髪に。かっこいいギターのペインティング。その後、僕は音楽の道に進むんですが、hideさんなくしてギタリストの道はなかった。あとXとは違いますがBLUE HEARTSまーしーのバンダナ、THE STAR CLUB「Rock’n Roll Rider」の影響も受けました。

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【50円の食パンで1週間しのいだ極貧生活~6,000人の前でギター演奏したJAPAN EXPO、3度の欧州ツアー】
――― 三重を飛び出して東京に上京するわけですね?
竹内:はい。中学を卒業後、バンドで売れることだけを目指し、鞄とギターひとつで単身上京。その結果、10年間、極貧時代を過ごしました(笑)。50円の食パンで一週間しのぎ一ヶ月200円の食費で。うどん屋、トラックに積み込む倉庫管理、新聞配達、とび、鉄筋屋、内装屋、トラック運転手、引越し屋、ミュージックパブ、ビルの窓掃除、ポスティング、警備員など15種類以上のバイトを掛け持ちしました。基準は「音楽を聴きながら働けるか」と「ライブを優先できるか」。それだけでした。


――― 初めて東京でライブしたこと覚えてますか?
竹内:はい!鮮明に覚えていますね。16才のとき西荻窪「WATTS」で初めてライブをしました。18才で平均20~30人ぐらいのファンを呼べるようになり。食えなくても楽しかったですね。
――― 10年の下積みを経てレーベル事務所入りになるわけですね?
竹内:2007年11月、V系レーベル事務所に所属。この頃は平均200~300人は固定ファンがいて。26才にしてアルバイトをしなくても食べれるようになりました。2007年ベルギーのJapan Expo(6,000人を超える集客ステージ)に呼ばれたことをきっかけにヨーロッパツアーを3度経験。呼ばれた理由は「一番派手だったから」と後で聞かされ(笑)。CDを9枚リリース、全国ツアー、海外ツアーを経験しました。hideさんが亡くなったあと25才のとき「hide presents MIX LEMONeD」にゲスト出演で呼んでもらったときは考え深かったですね。尊敬するギターリストhideさんのために無我夢中で演奏しました。ピーク時は平均500~1000人の固定ファンがついていましたね。
――― 名ギタリストという訳ですね!海外でツアーした国はどこですか?
竹内:いまパッと思い出せるのが、ドイツ「ミュンヘン」「ベルリン」「ハンブルグ」「ケルン」、ベルギー「レシーヌ」、イギリス「ロンドン」、フランス「パリ」、ロシア「モスクワ」、ポーランド「グダニスク」、スペイン「バルセロナ」、スウェーデン「ストックホルム」ですね。その後、突如ボーカルが抜けてしまい、ボーカル抜きのメンバーで最後のツアーを2009年に行い、約3年の活動で終止符を迎えることに。28歳で惜しまれつつ解散ライブを行った訳で。こう見えても、当時は身長172cmで体重53kg、シュッとした硬派なイケメンギタリストだったんですよ。今は171cmで108kg。身長が1cm縮んで、体重が倍になりました(笑)。

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【「モテそう」という理由なだけで社長になろうと決意しました。】
――― バンド解散後はどんな動きをされたのですか?
竹内:地元の三重に戻ろうと両親に連絡をしたんですが「28歳で無職のお前にできる仕事はない」と突き放されまして、途方に暮れ。そんなとき自分の強み、本当にしたいことって何だろうと自答自問したとき「モテたい!」という思いがふつふつ。単純明快、「モテそう」という理由なだけで社長になろうと決意しました。早速、社長が集まっていそうな六本木のパーティ会場にいきまして、そこで動画制作の仕事に携わるようになりまして。音楽の世界から身を引いた何者でもない自分は「しゃべる必要もない、学ばせてもらうにはプライドなんか持ってちゃいけない」と教わりましたね。バンドの世界しか知らなかったんで。色々な社長と会うことで「仕事」を作ることができて。次第に、ただの映像会社では面白くないと思い「笑える動画を作る」というブランディングを考えて、そこに制作の面白味を感じ。そのブランディングがウケまして、六本木界隈で話題となり個人で仕事が次々と舞い込むように。
――― 会社員から起業につながる訳ですね
竹内:はい。2013年に会社員よりフリーランスの収入が上回ったことをきっかけに独立。動画・YouTubeマーケティング会社「株式会社Suneight」を設立しました。社名の由来は「Sun(太陽)」と「eight(8)」から。『太陽』は、人が生きていく上で無くてはならない存在。『8』は漢数字で「八」。末広がりとしてとても縁起がいいって。その後、2019年に「最短4日の映像塾Megras」開校。「一般社団法人動画マーケティング協会」設立。YouTubeチャンネル「令和の虎」の制作、2022年「メンヘラ秘書」企画を開始、やるもの全てがバズリましたね。

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【タイ、カンボジアにはスラムの子供たちが多い。映像塾を立ち上げて貧困という負の連鎖を止めたい】
――― 現在は海外を拠点に生活されているそうですが、転機お教えください
竹内:2022年頃までは、順調すぎるぐらい順調で上場準備に入っていたのですが、「令和の虎」ポーカー事件で炎上してしまい断念。やろうとしていたことが白紙になり、海外への活動につながる転機に。2023年にグローバル展開を目指してタイに移住、タイサンエイトを設立しました。
――― タイと日本の生活の違いはありますか?
竹内:タイに住んでいるとスゴク気づかされるんですけど。とにかくタイの人は優しい。そしてお節介。みんな誰に対しても笑顔で、ニコニコ。電車の中でも。ほんと「微笑みの国」って言われることだけのことはあります。
――― 今後してみたいことは?
竹内:タイやカンボジアにはスラムの子供たちが多い。親子ガチャで、親が貧乏だと連鎖して。そこで僕は映像塾を立ち上げて無料で教えてあげたいんです。貧困という負の連鎖を止めたいと本気で思っています。
――― 最後に、読者へメッセージを。
竹内:2024年2月、初の著書『知名度の上げ方 1年で10000人のファンをつくる法則』を出版しました。今まで番組をたくさん手掛けたアイデアや成功論を約200ページのビジネス書にして。2025年は【社長図鑑】経営者プロダクションを作ったり、地元三重県を盛り上げる【みえの虎】を立ち上げ、経営者を育てています。あと8年間、好き過ぎて通い続けた韓国料理店(新大久保本店)のフランチャイズ交渉が成立して、吉祥寺駅近くに韓国料理店「ヨプの王豚塩焼 吉祥寺店」を7月にオープンしました。是非食べにきてみてください。「日本一モテるデブ」を目指して突き進みますので、ぜひ応援よろしくお願いします!
【編集後記】
「バカになれる」強さと、弱者へのまなざし。竹内亢一という男の魅力は、その圧倒的な人間臭さにある。彼が振りまく「モテの魔法」は、これからも国境を越えて多くの人を巻き込んでいくに違いない。
▽竹内亢一・プロフィール
1981年8月27日、三重県伊勢市生まれ。実業家、動画クリエイター、ギタリスト、“モテ”ブランドマーケター、株式会社Suneight(サンエイト)代表取締役、動画マーケティング協会 代表理事、「みえの虎」主宰。「令和の虎」出演者でもあり立ち上げメンバーとしても知られている。中卒でミュージシャンを目指し鞄一つで上京。バンド活動で訪れた海外にて「映像」が秘める可能性の大きさに着目し、2006年から動画制作を独学で始める。YouTuberやコンテンツマーケティングといった言葉が日本で広まる前からYouTubeに着目し、2013年YouTubeマーケティング会社「Suneight」を設立。10年間培ったノウハウで信頼を獲得し、上場企業から個人事業主までを成功に導く。 10年で手掛けたチャンネルは金の盾3枚、銀の盾29枚を獲得。現在は拠点をタイに移し、アジアナンバーワンの動画マーケティング企業を目指している。
≪SNS≫
【Instagram】https://www.instagram.com/suneight_ceo/
【Facebook】https://www.facebook.com/suneight.CEO/
【YouTube】https://www.youtube.com/@suneight_ceo
【TikTok】https://www.tiktok.com/@suneight.ceo?lang=ja-JP
【Suneight ホームページ】https://suneight.co.jp
【みえの虎】https://mienotora.com

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