【田家大知】奇才音楽プロデューサーのルーツはビースティ・ボーイズ~手塚治虫、藤子・F・不二雄に影響を受けた過去!サッカー少年~演劇青年に明け暮れた過去を初告白~ニューウェーブヒップホップバンド「SHOOT MY DISCO」ベーシストの素顔とは!?実父は著名な音楽評論家・ラジオパーソナリティ田家秀樹「人の価値は他人が判断するもの。自分で考えるな」

マルチな才能を持つ奇才クリエイター田家大知。音楽プロデューサー、実業家、著作家、作詞家、作曲家、映像作家、音楽ライター、music live saver、居場所クリエイターと多くの肩書きを持ち合わせる。2023年から自ら代表取締役を務める「株式会社音楽で君を守る」を設立。20242月には、登録者数114万人の人気番組「令和の虎」に出演。出資希望額、満額を獲得した。知られざる田家大知のヒストリーについてインタビューを決行。深堀りしてみました。大学時代の演劇サークルから結成されたバンド「SHOOT MY DISCO」でのベーシストの話、吉田拓郎、浜田省吾、甲斐バンド、CHAGE and ASKAGLAYといった面々と親交が深く、多数の書籍を執筆する音楽評論家の田家秀樹を父親に持つ話、今後の展望など色々な話を聞かせていただきました。

※トップ写真の左の男性は田家大知、右の男性は実父の田家秀樹。

影響を受けた手塚治虫、藤子・F・不二雄、ビースティ・ボーイズ

―― 今までプロデュースしたグループは?

田家 部分的にはいろいろありますが、グループとしてがっつりプロデュースしたのは今のところ「ゆるめるモ!」「レッツポコポコ」「なにぬねるん?」「ひっくりかえせクラブ」の4グループとなります。その他もまだ表には出ていないですが、現在進行形で進んでるものはいくつかありますね。

―― 今まで輝かしい実績をあげるとすると?

田家 ぜんぜん輝かしいとは言えないですが、201712月、レッツポコポコ「ぼくらの物語 / くらげくらげ」が、南波一海のアイドル三十六房 年忘れ!R-グランプリ 2017 シングル部門グランプリ受賞。MVがYouTube100万回再生突破いたしました。

・ゆるめるモ!「逃げない!!203万回再生(20244月現在)

・ゆるめるモ!「サマーボカン」131万回再生(20244月現在)

・ゆるめるモ!「ネバギバ酔拳」114万回再生(20244月現在)

―― クリエイターとして影響を受けた人は誰ですか?

田家 手塚治虫、藤子・F・不二雄、ビースティ・ボーイズです。特に『手塚治虫漫画全集』は小学生の頃に読破、ドラえもんの映画は全作品映画館で観ています。

△写真:小学2年生の大知

―― 影響を受けた作家を教えてください

田家 野坂昭如、村上龍、村上春樹、大江健三郎、カート・ヴォネガット、ジョン・アーヴィング、レイ・ブラッドベリ、ガルシア=マルケスです。文章を書いたり物語を考えるのが好きで、未発表ですが2010年に「うんこのワールドカップ」という長編小説は書き上げました。

―― 影響を受けた映画監督を教えてください

田家 スティーヴン・スピルバーグ、クエンティン・タランティーノ、クリント・イーストウッド、クリストファー・ノーラン、ラッセ・ハルストレム、ペドロ・アルモドバル、ウェス・アンダーソン、ポール・トーマス・アンダーソン、ジョン・カーニー、園子温、矢口史靖、三谷幸喜、三木聡、今泉力哉、白石和彌、吉田恵輔です。

――何かのインタビューで話されてましたが、音楽が思い浮かぶ時は映像まで見えているとか

田家 そうですね。なのでどの曲もいつもMVのイメージまでできていまして、全曲MVを作りたいのですがなかなか実現はできておらず。映画を見ている時に楽曲のインスピレーションが湧くことは非常に多いです。映画に助けられてますね。

―― 人を救いたい時に見せたい映画は何ですか?

田家 たくさんあるんですが。「華氏451」「スクール・オブ・ロック」「砂漠でサーモン・フィッシング」「マグノリア」「はじまりのうた」「小さな恋のメロディ」は、様々な生き方の人に優しくて元気が出ると思うのでオススメです。

△写真:初めての海外旅行でモロッコで20才

サッカー少年~演劇青年~バンド活動で活躍!

―― 生い立ちから聞いていきたいのですが学歴を教えてください

田家 東京都府中市に生まれて、杉並区に引っ越し、その後小金井市に引っ越して地元の学校に通いました。杉並区立桃井第二小学校から小金井市立小金井第一小学校、小金井市立小金井第二中学校、東京都立武蔵高等学校、明治大学文学部フランス語学科を卒業しました。学生時代はサッカーをずっとしていまして、高校3年のときはレギュラーで左バックのポジションで東京都大会ベスト16まで進出しました。

△写真:1才の大知

―― 明治大学というとマスコミに多数輩出や演劇が盛んなイメージがありますが

田家 はい。明治大学で演劇サークル「騒動舎」に所属していました。先輩にはジョビジョバ(マギー、長谷川朝晴、坂田聡、六角慎司、木下明水、石倉力)と、サークルは違いますが河原雅彦さんがいました。ジャンルとしては大人計画、ナイロン100℃のような笑い要素が強い演劇でした。僕はクネクネする変な身体的な動きを活かした中心的なキャストが多かったですね。大学3年生のとき初めて作・演出作品「アルツハイマー!ゾンビのドキドキハイスクール」を下北沢・東演パラータで上演。90分程度の戯曲でしたが、いま振り返るとプロデュースするアイドルのMVの世界観の原点にもなったカオスでハードコアパンクな内容でしたね(笑)。あとは学外の活動もよくしていて、特殊メルヒェン女優の岡崎イクコさんと出会い、クラブでパフォーマンスをさせていただいたり、海外でも人気の高い芸術団体「指輪ホテル」の作品に出演させていただいたりもしました。岡崎さんは僕にアートへの世界を開かさせてくれた師匠ですね。その後、大学4年の19964月、世界レベルに視野を広げたいと世界一周の旅に出ました。そこで世界中の音楽に触れることができて、今でも財産となっております。

△写真:初めて作・演出作品「アルツハイマー!ゾンビのドキドキハイスクール」フライヤー
△写真:明治大学・演劇サークル「騒動舎」時代の写真 ※一番右の男性が田家大知
△写真:明治大学・演劇サークル「騒動舎」の仲間、21才
△写真:岡崎イクコと大知、20才

【世界一周で見えた景色とは】

―― 何か国まわったんですか?

田家 1996年の世界一周で訪れた国は、中国、チベット、ネパール、インド、パキスタン、イラン、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラビア、クロアチア、イタリア、スイス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリス、アメリカ、メキシコ、ハワイの21カ国です。その時の世界一周以外では、これまでチュニジア、モロッコ、エチオピア、ケニア、タンザニア、ロシア、韓国、台湾、タイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ベトナムにも行きました。

△写真:世界一周の出発日に船で21才 手にはヨーヨー。小林愛さんから世界中の女の子にハートを配ってきてと言われて渡されたハートのネックレス
△写真:初めての海外旅行でモロッコのエッサウィラで20才
△写真:初めての海外旅行でモロッコで20才

ニューウェーブヒップホップバンド「SHOOT MY DISCO」の存在

―― 人生変わりましたか?

田家 はい。自分と同い年くらいのバンド、bisが世界中の人を熱狂させているのを見て、自分も音楽で人に何か伝えられるのではないかという気持ちがあふれまして。日本に帰国後、1998年にSHOOT MY DISCO」というバンドを結成しました。ヴォーカルは騒動舎で出会った小林愛ちゃん、ギターはその後ゆるめるモ!の曲も何曲か作ってくれたTamptin、ドラムはラッパーのマサシスコ。Tamptinとマサシスコは同じ高校で大学は違うのですが騒動舎でも一緒でした。そして僕がベースと作詞、作曲も担当しました。全員が曲を作るバンドで、成り立ちや音楽性、活動スタイルはヒップホップグループのビースティ・ボーイズに憧れてリスペクトしてましたね。打ち込みで全員MCのヒップホップ曲をやったかと思ったら、楽器を持って荒削りなハードコアやニューウェーブを演奏したり。秋葉原CLUB GOODMANなどのニューウェーブ界隈の対バンによく出ていました。アジカンの後藤正文さんに横浜でのライブを見て褒めていただいたのが嬉しい思い出ですかね。小林愛ちゃんは途中で抜けて、後期は男3人でやっていました。自主制作のミニアルバムを4枚と、GIANT  STEP/ジェット機の野田タロウさん監修の「下北沢MODERN AGE Vol.2」をはじめとするオムニバス3枚に参加しています。ミニアルバムにはロッキング・オンの山崎洋一郎さんに手書きで1枚1枚帯文を書いていただきました。バンドは完全休眠状態ですが今でも解散はしてないので、活動していることにはなってます(笑)。

△写真:ニューヨークでbisのマンダ・リンと22才
△写真:SHOOT MY DISCO時代の写真 ※左から2番目の男性が田家大知27才

カオスな人たちと音楽で作られる空間が原体験

―― 生まれた環境についてお聞きしたいのですが、お父様は音楽評論家の田家秀樹さんですよね?

田家 ちゃんと公表したことはないのですが、そうですね。完全にゼロからやってきたのに何かコネでもあるんじゃないかと思われるのが嫌だったのですが、自分が売れてるわけでもないし、もはや誰も思わないかなという気もするので(笑)。物心ついたときから本やレコードに囲まれた家でした。ニューミュージックの音楽評論家で、ある程度名前の知られていた父でしたので、家には四六時中、音楽関係者が出たり入ったりして、どんちゃん騒ぎしていましたね。子供ながらローリングストーンズ、ビートルズなど大音量で流れる音楽が子守歌のようでした。小さい頃から「たいちくん」と呼んでもらい、甲斐よしひろさん、中村あゆみさんなどに可愛がっていただきました。今でも印象に残っているライブが小学校3年、10才のときに見たチューリップ野外コンサート「チューリップ・ランド・イン・芦ノ湖 8.11パゴダ」でした。僕のアイデンティティは確実に幼少期に作られましたね。

―― どんな家庭でしたか?

田家 父からは「人の価値は他人が判断するもの。自分で考えるな」と教わりましたね。産みの母はニューヨーク事情に精通するフリージャーナリスト・田家正子です。学生運動の盛んな中、大学卒業した後コピーライターだった父と放送局勤務だった母が知り合い、時代の世相もありヒッピー夫婦でした。河原で結婚式をして、当時はよっぽど珍しかったのか朝日新聞にも記事として載ったそうです。1人っ子だったので自由に育てられましたね。小学校2年で離婚して父親と2人暮らしになり、その時のシングルファーザー奮闘記は父親の書いた「主夫の意見:教えてほしいFather and Son」という本にまとめられてます。その後中学生の時に父親は再婚いたしました。中学・高校の6年間では父と目も合わせず口も利かないほど長い反抗期でしたね。大学に入って一人暮らしをしてからは話す機会も増えて、今の両親ともにすごく仲良くできています。産みの母とも数年間に1回は会っていて、世界一周の旅をしていたとき当時ニューヨークで暮らしていた母のところに寄りました。喜んでくれていましたね。

△写真:2才の大知

―― お父様は今の活躍をどう見ていますか?

田家 最初は自分がそんなことやってるなんて言ってなかったし無関心だったと思います。多少メディアに出たりするようになってからは僕には事前に連絡なく、ライブをこっそり見にきてくれていたりしましたね。その後は僕からCDを手渡ししたりするときもありました。そんな父親から言われたアドバイスで覚えているのが、2018年のZepp Tokyoのライブを見たときに「曲の歌詞は、もっと身近なものもあるといいぞ」と言うことでしたね。

―― 普通と違う家庭環境は田家さんにとってどう影響ありましたか?

田家 東日本大震災と、就職に失敗して自殺する若者のニュースを聞いて、「頑張らなくてもいいんだよ」と思ったことですよね。音楽で居場所を作ってあげたいと思ったし、そんな学校を作ってあげたいと思いました。これって幼少期に、いろんな大人たちが音楽を介して家の中に集まってきた環境が関わっていると思います。そもそも何やってるかわからない謎の人が多くて(笑)、カチッとした生き方じゃなくてもいいんだと思ったし。父親、母親の他に音楽のある世界、ハチャメチャな人、笑い声、そんな原体験がありました。そういうカオスな空間やコンテンツに触れると今でもホッとするんですよね。心傷ついた人、頑張り過ぎちゃう人に何かしたいっていうのは、小さいときの僕を見ているかもしてませんね。

△写真:2才の大知

【初めてコピーしたのはブルーハーツ「キスしてほしい」

―― 音楽のルーツを教えてください

田家 父親の部屋にはレコードがたくさんあったので、大抵の音楽はある恵まれた環境でした。ただ10才のとき安全地帯の「悲しみにさよなら」が欲しかったのですが、父親の部屋になくて。初めて買ってもらいました。中学生の時にバンドブームが来て、一番最初は「オフサイド」というバンドを組みました。担当はベースでしたね。簡単だったので最初にコピーしたのはブルーハーツ「キスしてほしい」だったと思います。当時すごく流行っていたBOØWY、ZIGGYのコピーもしました。中学校の頃は地元の宮地楽器でライブをしたりしてましたね。その後、高校に入った時にハノイロックスのコピーをするバンドをやっていて、キャパ800の小金井公会堂でヤマハのバンドコンクールの予選があって、イカ天で人気になったマルコシアス・バンプが審査員でめちゃくちゃ嬉しかったですね。そのバンドでは吉祥寺のライブハウスでライブをしたりしてました。僕はサッカーのほうに夢中だったので足を引っ張ってばかりのお荷物メンバーだったのですが、まさかそんな僕が今も音楽を続けることになるなんて当時のメンバーたちは予想もしてなかったと思います(笑)。ちなみに今は発酵王子として活躍している料理人の伏木暢顕くんとは小学校中学校の同級生でして、彼がドラムでした。あと同級生で言うと、プロレスラーのGENTAROくんも同じ中学です。さらに同級生で言ったら明治大学文学部の同級生でTBSアナウンサーの安住紳一郎くんとは今でも仲良しなのですが、大学の頃には2人で山梨に旅行に行って安いからってラブホテルに泊まったこともありましたね。僕が女の子のフリをして(笑)

△写真:中学生の時に宮地楽器のスタジオで14才
△写真:今は発酵王子として活躍している料理人の伏木暢顕、バンドメンバーで小学校中学校の同級生
△写真:友人の安住紳一郎アナウンサーと田家大知
△写真:友人の安住紳一郎アナウンサーと田家大知
△写真:友人の安住紳一郎アナウンサーと田家大知

―― 洋楽にはハノイロックスからハマったのですか?

田家 高校生の時にハードロックとかメタルとかが流行っていて、そこから入っていきましたね。それで大学に入って、ニューウェーブとかインディーロックとかにハマり、中古レコード屋とか中古CD屋に行き、マニアックなバンドをひたすら掘るようになっていきました。

△写真:高校の文化祭で17才
△写真:高校の卒業式で18才

―― 社会人の話を聞かせ下さい

田家 1998年4月、24才のときに株式会社エアーに契約社員として入社しました。全国のローソン、全店舗にて無料配布のエンターテインメント情報誌「LAWSON TICKET WITH Loppi」の編集プロダクションで編集者としてライブレポート、ミュージシャンインタビューを担当しました。インタビューをして印象に残っているアーティストさんは、BUMP OF CHICKENさん、椎名林檎さん、とんねるずさん、MIYAVIさんですね。その後、会社を辞めた後もバンドをやりながら、フリーのライターとして音楽について書いたりしていました。フジロックも最初の年から行ったり、様々な面白そうなフェスや来日公演があれば行ったりと、音楽が常に生活の中心にある人生でしたね。

△写真:バンド練習の帰り24才
△写真:クラブでのパフォーマンス 右前 24才
△写真:バンドスタジオで28才

―― 最後に一言お願いします

田家 進んで自分の話をするのがあまり好きではないのと、記録や記憶を辿るのが苦手で、このようなことを語る機会はなかったのですが、まとめていただきありがとうございます。自分のルーツにあらためて向き合うことができて、自分がなぜこういうことをやっているのかがよく理解できました。今後も自分にしかきっとできないであろうユーモアありパンクありな方法で、過去の自分のように窮屈な想いをしている人を、音楽の力でたくさん救っていけたらと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

【田家大知フォトグラフヒストリー】

△写真:クラブでのパフォーマンス 左 19才
△写真:BELLYのタニヤ・ドネリーと21才
△写真:THROW THAT BEAT IN THE GARBAGECAN!のクラウス・コーンフィールドと21才
△写真:THROW THAT BEAT IN THE GARBAGECAN!のみんなと21才
△写真:ブルガリアで21才
△写真:ルーマニアで21才
△写真:ユーゴスラビアで21才
△写真:ニューヨークでbisのサイファイ・スティーブンと(22才)
△写真:ニューヨークでbisのジョン・ディスコと(22才)
△写真:ニューヨークでカーディガンズのニーナ・パーションと(22才)
△写真:ニューヨークで語学学校の友達と22才
△写真:ベルリンでEC8ORのジーナ達と 右から2番目 22才
△写真:サンフランシスコで22才
△写真:ブラーのデーモン・アルバーンと23才
△写真:メキシコで23才

▽プロフィール

田家 大知(たけ たいち)1974年7月29日、東京都小金井市出身。

音楽プロデューサー、実業家、著作家、作詞家、作曲家、映像作家、音楽ライター、music live saver、居場所クリエイター。株式会社「音楽で君を守る」代表取締役社長、「SHOOT MY DISCO」ベーシスト。明治大学文学部フランス語学科卒業。父親は音楽評論家の田家秀樹。

●作詞・作曲・編曲

・プランクスターズ「セフレラブ」(作詞・作曲)

・Re:REPLIE「こしひくっ!」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・羽島みき「結婚ディスコ」(作詞・作曲・編曲)※編曲はWarabi Musicとの共作

・ぴぴぴくせる「どちて?蛙化現象」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・Suneeds「フレンドとレインボー」(作詞・作曲)

・透明教室与平行女孩(Transparent Classroom & Parallel Girls / 透明教室とパラレルガール)「无糖大操场(Non-sugar Fxxking Playground)」(作曲)

・ららぱれーど!「LIFE Vortex LIFE」(作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・ダダダ団「Beyond Reality」(作詞・作曲・編曲)※編曲はM87との共作

・OMG「ダンシングダンデライオン」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・OMG「Clap Your Hands Now!」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・「「「ゆきさき」」」「ゆきさきエアポート」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「ゆるめるモん」(作曲)

・ゆるめるモ!「SWEET ESCAPE」(作詞・作曲)

・ゆるめるモ!「スキヤキ」(作曲)※松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「Majiwaranai CAts」(作曲)※ハシダカズマとの共作

・ゆるめるモ!「場viewer」(作曲)※松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「ぺけぺけ」(作曲)

・ゆるめるモ!「DO FUFU」(作曲)

・ゆるめるモ!「聞こえる」(作曲)※ハシダカズマとの共作

・ゆるめるモ!「1!2!かんふー!」(作詞・作曲)※作詞は小林愛、作曲は松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「Only You」(作曲)※ハシダカズマとの共作

・ゆるめるモ!「モモモモモモ!世世世世世世!」(作曲)※松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「KAWAIIハードコア銀河」(作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「サマーボカン」(作詞・作曲)※作詞は小林愛、作曲はハシダカズマとの共作

・ゆるめるモ!「めんどいしんどいPUNKするか」(作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「はみだしパラダイス」(作詞・作曲)※作詞は小林愛、松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「ゆるビスタ!」(作詞・作曲)※作詞は小林愛、松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「我が名とは」(作曲)※松坂康司との共作

・ゆるめるモ!「ミュージック 3、4分で終わっちまうよね」(作曲)※M87との共作

・ゆるめるモ!「震えて甦れ」(作曲)※ハシダカズマとの共作

・ゆるめるモ!「NEW WAVE STAR」(作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「SHAKER PEACEMAKER」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「WOW WOW WAR 〜スカ・チャンポン斉唱戦線〜」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ふさえ」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ガチャガキ」(作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「おこらないで」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「やすもう」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!×DOTAMA「フリースタイル全部」(作詞・作曲・編曲)※作詞はDOTAMA、編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ネバギバ酔拳」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「命あってのものだね」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「令和ワンダー」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ゴーアウト」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「洗うんだワールド」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「DELIVERY LIFESAVERS~ゆるめるモ!を止めないで~」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「DANCE PUNK MONSTERS」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ライフイズシンポー」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「モンスターメリーゴーラウンド」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「気にすんな」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ゾンビダンス」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ゴールデンライフ」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・ゆるめるモ!「生きロック」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「ファンキーポップマジック」(作詞)

・ゆるめるモ!「サイケデリックわっしょい」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・ゆるめるモ!「めちゃめちゃかわいい!」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・ゆるめるモ!「a ____(あ、なんとか)」(作曲)※M87との共作

・ゆるめるモ!「推してよ♪」(作詞・作曲・編曲)※編曲は顕 -aki-との共作

・ゆるめるモ!「ゆるゼロ」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「ゆるモニ」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「ゆるレス」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「リキッドルーモ!」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「ゆるHA!」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「シンゆるめるモ!」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「つるめるモ!」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「サンキューフォーファイティング」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「ゆるビクス!」(作詞・作曲・編曲)

・ゆるめるモ!「もういんないリンゴ飴」(作曲・編曲)

・ようなぴ「食べるなぴ」(作曲・編曲)

・ようなぴ「なぴ!イェイ!クリスマス!」(作曲)

・けちょん「タントラチャッカラカナビス」(作詞・作曲・編曲)

・レッツポコポコ「魔法の「カギカッコ」」(作詞)

・レッツポコポコ「クルクルポコポコ」(作詞)

・レッツポコポコ「友よポコポコ」(作詞)

・レッツポコポコ「セイセイマゴマゴ」(作詞)

・レッツポコポコ「ぼくらの物語」(作詞)

・レッツポコポコ「くらげくらげ」(作詞)

・レッツポコポコ「マーマレードの歌」(作詞)

・レッツポコポコ「○を止めないで」(作詞)

・レッツポコポコ「風風サマー」(作詞)

・なにぬねるん?「インターナショナルプレイガールズ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ボーイズビーアナーキー」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・なにぬねるん?「スカイワーワー」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ジグザグ心電図」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「いい子じゃいられない」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ノーティノーティ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ガンジガラマー」(作詞・作曲・編曲)※編曲は安原兵衛との共作

・なにぬねるん?「引っ越したい」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「お買い物は楽しいな」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「節約のうた」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「焼きそババババ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「仕事やだよ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「学校やだ!」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「スッピンでOK」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「まつげくるぶし」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ひざ痛い」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ラーメン食べようよ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ツンデレ音頭」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「ゴキブリホイホイ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「目の体操」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「浮気しないで」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「マスク苦しいよ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「梅干しスッパイ」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「車に乗って」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「脳みそかゆい」(作詞・作曲・編曲)

・なにぬねるん?「やあやあお兄さん」(作詞・作曲・編曲)

・ねるんポクぽく「アナタノカタナ」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「チョキチョキ」(編曲)

・ねるんポクぽく「じゃがじゃがじゃがいも」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「犬になる」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「かぞえうた」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「ねててえ」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「ピンクの部屋」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「おい謝謝うれ謝謝」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ねるんポクぽく「おぷろやだよ」(作詞・作曲・編曲)※作詞はねるんポクぽくとの共作

・ぴゅーぴるモ!「ぴゅ」(作詞・作曲・編曲)

SHOOT MY DISCO「皿は常にお米でいっぱいだ」(作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「侍には裏技」(作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「グルーリーメンソール」(作詞・作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「ライフサイクルビ」(作詞・作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「NYCはえすむら」(作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「力力」(作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「ミサイル・ガール・光」(作曲)※バンドでの共作

・SHOOT MY DISCO「ロック出ねえ」(作曲)※バンドでの共作

⚫MV制作

・ゆるめるモ!「DANCE PUNK MONSTERS」(監督・撮影・編集)

・ゆるめるモ!「もういんないりんご飴」(監督・撮影・編集)

・ゆるめるモ!「ゆるビクス!」(監督・編集)

・ゆるめるモ!「サンキューフォーファイティング」(監督・編集)

・ゆるめるモ!「must 正」(監督・撮影・編集)

・ゆるめるモ!「永遠の瞬間」(監督・撮影・編集)

・ゆるめるモ!「NEW WAVE STAR」(監督・撮影・編集)

・なにぬねるん?「ボーイズビーアナーキー」(監督・撮影・編集)

・なにぬねるん?「スカイワーワー」(監督・撮影・編集)

・なにぬねるん?「ジグザグ心電図」(監督・編集)

・なにぬねるん?「いい子じゃいられない」(監督・撮影・編集)

・なにぬねるん?「ノーティノーティ」(監督・撮影・編集)

・なにぬねるん?「ガンジガラマー」(監督・編集)

・ねるんポクぽく「チョキチョキ」(監督・撮影・編集)

・ねるんポクぽく「じゃがじゃがじゃがいも」(監督・編集)

・ねるんポクぽく「ねててえ」(監督・撮影・編集)

・Re:REPLIE「こしひくっ!」(制作)

⚫小説

「うんこのワールドカップ」未発表(2010年作)

●出演メディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌など)

・テレ東ほかドラマ「RoOT / ルート」(2024年4月放送開始)アイドル監修

・一般社団法人日本音楽制作者連盟発行フリーペーパー「音楽主義」

音楽業界ノンフィクション 音楽にまつわる「ちょっといい話」 第16回「〜命を救うためのアイドル運営〜」2014年11月17日配布

・テレビ東京「ほぼほぼ ~真夜中のツギクルモノ探し」出演

・ドカント2019年11月号「異能者 ちょっとお話いいですか?」連載第87回

・BUBKA「アイドルクリエイターズファイル」2023年8月号

⚫授業、講義、サロン

・「子育てアイドルプロデューサー対談 ~パパ、あそんで~」阿佐ヶ谷ロフトA 2013年12月30日開催

・アイドル運営の子育てトーク「パパ…あそんで……」阿佐ヶ谷ロフトA 2014年5月4日開催

・「ゼロからでも始められるアイドル運営」トークイベント 川口市メディアセブン2014年10月23日開催

・オトトイの学校「アイドル・グループのつくり方~超実践編~」講師 2015年10月〜12月

・アイドル関係者トークイベント「NNNNNN」池袋シアターYES 2016年4月22日開催

・トークイベントツアー「ゆるめるモ! の音楽よもっと回れ!!~たけPのどこでも行くよ!~」(2018年9月に滋賀、名古屋、水戸、韓国で開催)

・名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校 講師 2018年9月9日

・トークイベント「ゆるめるモ!の音楽よもっと回れ!!番外編~たけPとゆるめるモ!を深めるモ!~」2018年10月27日開催

・里咲りさトークイベント「しゃちょー対談!」ゲスト出演 ROCK CAFE LOFT is your room 2019年10月6日開催

・DMMオンラインサロン「ゼロからでも始められるアイドルプロデュース」2019年10月〜2022年4月

・「副業として始めるアイドル運営」サンクチュアリ出版 地下1Fイベントホール 2020年10月12日

・新宿RCロフト+配信イベント「田家大知・齊藤州一の新時代ガールズユニット論」2022年4月1日開催

⚫主催イベント

・悩める人を肯定し解放する音楽イベント「肯定解放!」立ち上げ

第1回目 2022年12月5日(月)渋谷スターラウンジ〜現在

・2024年3月2日、3日に台湾・台北CORNER HOUSEでイベント「肯定解放!×エクストロメ!!×MAH in 台湾」を主催

●原稿を寄与したメディア名

WEBインタビュー

・ナタリー

“楽曲派”と呼ばれるグループたち

齊藤州一、田家大知、田中紘治、本間翔太が語る“アイドルである意義”

https://natalie.mu/music/column/427576

・オトトイ

ゆるめるモ!が11年ぶりに新メンバー募集!──プロデューサー、田家大知が語る、その大きな野望

https://ototoy.jp/feature/2024021301

ゆるめるモ!プロデューサー、田家大知が見つめるその先──白熱のトーク・イベントの模様をレポート!

https://ototoy.jp/feature/2018121801

・リアルサウンド

ゆるめるモ!は結成5年を経てどこへ向かう? プロデューサー田家大知に改めて訊く

https://realsound.jp/2017/12/post-134167.html

ゆるめるモ!プロデューサー田家大知が明かすアイドル運営術「すごい表現方法だと感じている」

https://realsound.jp/2014/08/post-1025.html

・ポップンロール

ゆるめるモ!プロデューサー・田家大知[インタビュー]新メンバーオーディションにかける想い「小さな壁の中で苦しむ人たちの壁を破壊して、メンバーとして広い世界に連れだしたい」

https://popnroll.tv/articles/37779

ゆるめるモ!、9/9 Zepp Shinjukuでのツアーファイナルに“居場所がない人”5組10名をご招待![プロデューサー・田家大知インタビューあり]

https://popnroll.tv/articles/34781

・タイプ

アイドルプロデュースは新規事業の教科書だ! 路上スカウトで生まれた『ゆるめるモ!』がZeppでワンマンライブを行うまで

https://type.jp/st/feature/386/

・BUBKA WEB

音楽プロデューサー田家大知、ゆるめるモ!最新アルバムに込めた想い

・muevo

ゆるめるモ!━━ 多くの苦難を乗り越え、新体制となり発売された4枚目のフルアルバム「サプライザー」について聞く、プロデューサー田家インタビュー

https://media.muevo.jp/articles/7064

・マイナビ

【特集】リアルでアイドルを育てたいお前らへ 地下アイドルプロデューサーが語る理想と現実

https://news.mynavi.jp/article/idoltraining-3/

【特集】リアルでアイドルを育てたいお前らへ 地下アイドルプロデューサーが語る「必要なスキル」

https://news.mynavi.jp/article/idoltraining-4/

・ドカント

「異能者 ちょっとお話いいですか?」連載第87回

田家大知さん ゆるめるモ!Pのアイドル運営術とは

・中2イズム

【連載・私の中2ゴコロ】ゆるめるモ!プロデューサー・田家大知(前編)

・参照

大森靖子さんデビューナナ周年記念ナナ週連続インタビュー企画第2弾

【ナナ週連続インタビュー第2弾!】「逃げちゃダメだ」から「逃げてもいい」へ【「うんめー」(ゆるめるモ!)】

https://avexnet.jp/column/detail.php?id=1000459

濱野智史 × 渡辺淳之介が語る、アイドルとプロデューサーの関係性 濱野「なにかあったときは赦すべきでした」

https://realsound.jp/movie/2017/02/post-4022_3.html

  • この記事が気に入ったら

ページ上部へ戻る

Myuu♪をフォローする